※この記事は、個人の経験談で、カミングアウトを推奨するものではありません。また表現の中に、マイノリティであることや、カミングアウトについて悩んだ経験が書かれています。ご注意ください。
長い記事になってしまったので、3話に分かれています。
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STORY② 私が経験した、親に向けた2度のカミングアウトのこと
STORY②
私が経験した、
親に向けた2度のカミングアウトのこと
うまく伝えられなかった 親への最初のカミングアウト
社会人になって、オフ会やイベント、コミュニティーの存在を知り、
同じセクシャリティの人たちに出会うことができました。
そんな中で出来た同性の恋人。
初めての彼女は、普段は大人しいけど、笑うと子どもみたいに無邪気な声を出して笑う優しい人。
親しい友人には勇気を振り絞り、カミングアウトしたけれど、職場では話せず、「彼氏」と聞かれても、「恋人」という形で返しながら話したりしていました。
よく飲み、よく食べたけど体型が変わらなかった時代。手にしてる携帯はiモード・・・
実家に電話しないといけないのすごい緊張しそう!お母さんとかが出ちゃったらパニックになりそう!時代。
親にカミングアウトをしたのも、この頃。
カミングアウトについては、色んな考え方があると思うし、伝えることが正解でもないと思うけど、私は両親にありのままの自分を分かって欲しかったのだと思います。
“自分の恋愛対象が女性であること。
男性とお付き合いしたこともあるけれど、やっぱり心から好きになるのは女性だ、ということ。
だから結婚はしないかもしれない、ということ、など”
とても緊張しながら、でも意を決したように私は話をしていたと思います。
実は、この時のカミングアウトはうまく伝えられずに終わりました。
後になって、その時の伝え方をとても後悔していますが、母を混乱させてしまったのです。
母の
「でもMは男性とも付き合えるんだよね。」
という言葉に、
「付き合ったことはあるけど、女性の方がやっぱり好きだから」
と返すと、母は黙ってしまいました。
まだセクシャルマイノリティが世間にあまり認知されておらず、正しく理解もされていない時代。
LGBTQという言葉すら聞いたこともない時代でした。
突然カミングアウトされた母は、そのあと、自分の育て方に何か問題があったのでは、と自分のことを責めてしまったようでした。
ただでさえ、難しいと言われる年齢から私を育ててくれた母。
もう少し時間をかけて、私の話だけでなく、セクシャルマイノリティとはどんな人なのか、などを伝えられたらよかったと思うのだけど、当時はそんな情報すら少なかった状況でもありました。
父はずっと黙って、私の話を聞き、母の様子を見守っていました。
もう一度、手紙も添えて、 時間をかけ、カミングアウトすることに
Yちゃんとの付き合いが始まり、彼女が東京から愛知へ引っ越してきてから暫くのこと。
私はYちゃんのことを、両親に話しました。
そしてYちゃんと一緒に、実家に帰りました。
片づけられた書斎には、4つ座布団が置かれていて、そこに座り、ドキドキしながら顔合わせしました。(内容は緊張しすぎて、全く覚えていません笑。)
両親にあてた手紙も書き、セクシャルマイノリティについての私なりの説明や
(社会にいると想定されるLGBTQの割合、置かれている立場、日本社会がいかに遅れているかという実態も含め)、
私たちの関係(異性間のカップルと変わらない関係であること)
そして何より今私は幸せであり、両親に感謝していることを伝えました。
母はその後、一冊の本を読んでくれました。
教員だった母らしい選定。
母が読んでくれた本は、今でも実家の書斎に。
私たち当事者の苦しみを理解してくれたことが伝わってくるメールも貰いました。
母から届いたメールの一部
最初のカミングアウトに私がこんな本を添えられていたら、もしかしたら母の捉え方は違っていたのかもしれないな、と後になって知りました。