私の幼少期から、セクシャリティに悩んだ頃の話、そして勇気を振り絞って親にカミングアウトし、
Yちゃんと家族公認の仲になるまでのストーリーをさかのぼって書いています。
※この記事は、個人の体験談で、カミングアウトを推奨するものではありません。また表現の中に、マイノリティであることや、カミングアウトについて悩んだ経験が書かれています。ご注意ください。
長い記事になってしまったので、3話に分かれています。
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STORY① ふたりの母が育ててくれた生い立ちと、セクシャリティに悩んだ10代のこと
STORY①
ふたりの母が育ててくれた
生い立ちと、
セクシャリティに悩んだ10代のこと
ふたりの母が育ててくれた 私の生い立ち
私にはふたりの母がいます。
生みの母は、私が小学校に上がる前に病気で他界しました。
寒いバレンタインの日のことでした。
生みの母の記憶はあまりないのだけど、32歳という若さで幼い子どもを置いて旅立ったことを思うと、
想像出来ないくらい辛かっただろうなぁと胸が痛みます。
春から小学校に上がる私のランドセル姿を見るのを楽しみにしていたそうです。
保育園の時に描いた絵。絵本を読むのが大好きな子どもでした。
育ての母は、私が小学校2年生の時に我が家へ来てくれました。
仕事が小学校教員とはいえ、初婚で子育ても初めて。
私には弟がいて、当時4歳。まだ手のかかる時期でした。
物心ついた女の子のいる家庭ということもあり、苦労するんじゃないかと、周りには心配する人もいたそうです。
当時は結婚したら、専業主婦になる女性が多い時代。
母は教員という決して楽ではない仕事をしながら、私たち兄弟を、父と育ててくれました。
初めての告白の相手は女の子。 セクシャリティに悩んでいた10代
中学生になった頃、私は自分のセクシャリティを自覚するようになりました。
人生初の告白をしたのも、
同級生の女の子。
仲良くしていた友だちのひとりでした。
不器用な私がマフラーを編んだりもして(笑)
その子からは、私が「男子だったら付き合いたかった」と振られました。
その後もその子とは仲良しだったけど、その子に彼氏が出来た時は辛くて、少し距離が出来たのを覚えています。
高校に入ってからは、教育実習で音楽を教えに来ている音大に通う先生(女性)のことが好きになりました。
その時も何度か手紙のやり取りをして、気持ちを伝えました。
(今思えば、私、結構打たれ強かったのかも笑)
その人たち以外にも、好きになる女性がいたけれど、
10代の頃、私はセクシャリティのことを、周りの誰にも話すことが出来ず、もちろん好きな人のことも誰にも話せず、一人で悶々としながら、大人になりました。
好きな人と付き合うために、男の子に生まれたかったと思うこともあったし、逆に男の子のことを好きになろうと努力して、お付き合いをした時期もありました。